12月23日の日経朝刊等の報道にある通り、文部科学省の発表によれば、海外の大学や大学院に留学する日本人は4年連続で減少し、2008年は66,833人で前年に比べ11%落ち込み、過去最大の減少となったと言われている。又、新入社員たちは海外勤務を嫌がるといったことも聞かれる。しかし、このような日本人留学生の減少、若者の内向き志向に対するマスコミや識者の一連の報道、コメントを見聞きしていると、非常に違和感を覚える。
そもそも発言者たちに、留学や海外勤務経験がないように見えるからである。自分はこの分野に興味があったので、米国留学したとか、海外在住経験でどのような経験をしたとか、海外勤務で苦労したとか、そういった具体的な話が聞こえないし、見えないのである。つまり、グローバル人材を声高に叫んでいるものの、今の日本経済の閉塞感を打破するための解決策として、打ち出の小槌のように安易に考えているように感じられるのだ。
留学生数の減少は、数字として提示されている以上、事実として受け止めるしかない。しかし、もし喧伝されているような、若者の内向き志向が事実だとするなら、その責任は政府、企業、メディアに少なからずあるはずだ。
日本の首相が国際会議の場で、議論をリードし、イニシアチブを発揮したことがここ数年あっただろうか。1年も経たずにコロコロ替わる為、そうもいかない事情もあるだろうが、そのような場面は記憶にない。又、政府はEPA、TPPの推進でも遅れを取り、海外人材の受入についても最近まで積極的な動きは見られなかった。
企業にもその責任の一端があろう。日本での就職活動が3年生から始まるということが何かと問題にされている。これは後に遅らせることができればそれに越したことはない。卒業後でも良い。しかし、実際は、1年間の交換留学生を含め、企業は何年も前から海外の日本人留学生の採用活動はしている。少なくとも10年前からボストン・キャリア・フォーラムはあった。もちろん、最近でも。夏休みに一時帰国した日本人留学生向けのキャリア・フェアもある。むしろ問題なのは、入社後の留学生や外国籍の社員の処遇だと思う。日本人の場合、採用の仕方だけ別で、入社後の扱いは同じ。一方、外国籍と日本国籍の人材の処遇にも差があることが少なくない。海外在住経験者には、「国際的」日系企業に就職しても、あまりにもドメスティックな制度、文化に幻滅した人も少なくないと思う。これらは、最近になってようやく改善されつつあるが、英語の社内公用語化も含め今更の感が拭えない。
又、企業の場合、長引いたリストラ、選択と集中により、海外の実務研修や駐在員の人数が縮小されたことも大きい。コストの高い日本人駐在員を海外に派遣するよりも、現地のスタッフを雇用した方がコストパフォーマンスが良いからだ。大卒の日本人駐在員に対しては住宅、ハードシップ手当等も含めお金がかかるのに対し、現地でMBAホルダーを雇った方が安く済むからだ。こうしたローカライゼーションは2000年以降に特に推し進められたように思う。しかし、この施策は結果として、本社と海外現地法人のスタッフに埋め難いコミュニケーション・ギャップを生んだのではないだろうか。又、日本人社員の海外勤務経験の機会も大幅に縮小することとなった。
メディアも海外の情報発信が非常に少ない。テレビ、新聞は国内問題ばかり。海外ニュースの報道にも大きな時間差がある。国内にいると海外に目を向ける機会が非常に少ない。
今年ノーベル化学賞を受賞した根岸教授は、国内に第一人者がいれば別だが、海外にいるのならその教授の下に行って学べというようなメッセージを日本の若者に対し言っていた。しかし、事業仕分けで、「1番じゃなきゃいけないんですか。2番じゃダメなんですか」という発言は、日本のメンタリティをよく表しているように思う。ゆとり教育の弊害とよく指摘されるが、1番を目指すという競争意識が植えつけられていないからだ。教育の現場だけでなく、例えば輪番制のように交代する首相のポスト、淘汰されずに生き永らえる業界内で横並びの企業、そしてメディアも同様だろう。30人31脚をやっているのは学校だけでなく、政治もビジネスも同じだ。もっと言うと、留学生減少や内向き志向という報道も、業界横並びで、物事の一面しか報じないマスコミの刷り込みかもしれない。又、高度成長期は、米国に追いつけ追い越せとばかりに海外に目を向けていたが、結局日本全体として2番で満足してしまったのではないか。バブルが崩壊し、停滞が長く続く中で、今まさにその2番の座さえ取られ、没落の一途を辿っているように見える。
テレビ、ネット、旅行等で手軽に海外を体験できる時代になった。しかし、その多くは日本語に限定された環境。海外に住んでも日本人社会にどっぷり浸かって何不自由しない。しかし、人口で見ても日本は世界の1/60に過ぎない。東京に出ず、国内の片田舎で満足しているようなものだ。
実際に何年もそこに住み、現地の人と同じ新聞を読み、同じものを食べて、一緒に生活して初めて日本を客観視できるようになるし、真の海外経験と言える。旅行は所詮お客さんに過ぎない。周りの日本人の友人たちと同じ道を歩む必要がなぜあるのだろう。自分が迎合しようとしているマジョリティは、じつはマイノリティなのだ。よりエキサイティングな活躍の舞台があるのに、片田舎の平凡な人生で満足して良いのですか。
12/24/2010
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